2010年01月30日

母の影響を受けるものなのだな

昨日の話の続きですが、価値は親に似るものだそうです。
一番近くに居る人の影響はやはり受けやすいものなのですね。

あなたはどんな影響を受けていますか。


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2010年01月29日

人の価値って変わらないものなんだなあ

今日は、お昼に実家に行ってきました。
妹と母と私で食事をしている時にふと母が言いました。

久美子先生(私が小学校の時に担任してもらった先生)が
私達の母校に居て、今、甥っ子がお世話になっているから
これから会いに行こうよ。

突然の事なので、お化粧もしていなければ、手土産も持っ
てない。それなのに顔を出すの?
そう思いながらも、「先生が覚えてくれていて、あなたに
会いたいって言ってくれているんだから、そのままでいい
から行こう。今ちょうど昼休みのはずだから」と促され、
化粧もしないで訪れたのでした。


母は私の旧姓を伝え、先生を呼んでくれた。

30年ぶりに会う先生です。その間に多くの子供達を教えて
きた先生が私のことを覚えてくれているのだろうか?と
思いながらも、先生が出ていらっしゃるのを待っていた。

すると、30年経っているのに、顔を見て、
「あれ?もしかして里江さん?」
と声をかけてくれた。
「はい」とうなづきながら返事をした私に先生は駆け足で
近づいてきてくださいました。

そして、母に向かってこういいました。
「里江さんは、頑張り屋さんだけじゃなくて、いっつも
 人のお世話ばかりして、自分の事後回しで人の勉強
 見てあげたり、近所のおばあちゃんに話しかけたり、
 下級生の面倒も良く見てて、いっつも私の目の届かな
 いところをフォローしてくれたんですよ。
 明るくて優しい子ですよ。何より私が助けてもらいました。
 だから、大勢教えてきたけれど忘れられない生徒さん
 なんですよ。」

聴いていて、美化してるでしょ〜って思いながらも、
覚えてくれていたことが嬉しかったです。
何年生の時に教えたよねって事も、母よりも覚えていて
くれました。
嬉しかったですね〜。

そして、母が帰り道で私に言いました。
「あんたは変わってないね」と。何がかと思ったら、
どうやら母は、私の担任だった先生達に会うと声を
かけられるらしい。そして、私の話になるらしい。
その時にどの先生も同じような事を言うのだそうです。

存在感があるのは、実は私ではなく、母であるように
感じます。
けれども、そうした中で先生達が同じことを言うんだ
よと話してくれた母が、今も変わってないねと言って
くれた事は嬉しかったです。

人の価値って変わらないものなんですね。

どれだけ行動ややっていることは変化していっても、
根本にあるものは変わらないのかもしれませんね。


あなたが小さい時から言われ続けていることって
どんな事ですか。


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2010年01月02日

姉妹が集まると・・・

昨日はお正月という事もあり、私達姉妹とその家族が勢ぞろい。
そうなると、今までは気付かなかった共通した癖なども見えて
きます。

・よく笑うこと
・礼儀(特に挨拶)にはうるさいこと
・話す時に身振り手振りが多いこと
・説明が苦手なこと(感覚で話そうとしているように感じます)
・うなづきながら聞くこと

礼儀以外は全て母親の影響が大きいという事も分かりました。
では父の影響は?

父は寡黙な人だったので表面に出る部分では影響は少ないけれど、
働き方や考え方など、内面的な部分には似たものがあるように
感じます。

例えば
・近所付き合いや人付き合いは大切にしなければならない
・人が集まることが好き
・自分の親以上に義理の親を大切にしなければならない
・夫婦は隣に居なくてはならない
などです。

共通点が見えてくると、どう育ってきたのかを客観的に見る
ことも出来て面白かったです。
それぞれのパートナーから共通点を見つけてもらいました。

ここ数年はこの共通点探しが最初の話題になります。
きっとこれもまた話し方の特徴なのかもしれませんね。
まずは共通点を探すっていう・・・。

そう思うと、思っていた以上に小さな時から躾以外にも、
コミュニケーションのとり方をいっぱい学んできたのかも
しれないと感じました。

あなたは、親子や兄弟での共通点はどんなところにあり
ますか。
そこから見えてくるものは何ですか。


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2009年07月18日

母がモデル

先日、小さい頃の親の印象を聴かれました。
その時に、父は厳格どころかスパルタで、叩かれた思い出が
多かったのに、母はいつも私達姉妹をかばっている思い出し
かありません。

しかも、「なんであんなお父さんと結婚したの?」と子供達
が聴くと、「惚れた者の弱みかな」といつも言ってました。
たまに、父の若い頃の写真を見せてくれて「かっこいいでしょ」
って見せてもいました。

父が母の事を馬鹿にしているシーンは何度も覚えていますが、
大きくなればなるほど、そんな母だから、父はこんなにも
のびのびとして居られたんだなって思うと、母が理想の女性に
見えてきたものでした。

父が飲み屋で「ツケ」にしてきても、「私が働けばいいだけ」
と、私達が小さい頃から働いていた母の背中を見て育った私に
は、母の大きさが年齢と共に大きくなってきたのでした。

今、ふと振り返ると、母のしていた事をまねているように感じ
ます。
子供が小さくても働く母は格好いいと思っていたからこそ、娘
にも働いている私の姿を見て欲しいと思っていること。
娘の前では、パートナーの事は褒めたり尊敬を伝えること。
けんかは自分が折れる事で、しないこと。
娘が注意されている時は口を出さない事。
豪快な笑い声。
周りに気を配ること。
常に家族の味方だと伝え続けること。
そんな母を自然と真似できるようになっている気がします。

父の教えてくれた事が、すんなり受け取れたのも、こんな母が
近くに居てくれたおかげなのでしょうね。
きっとどちらか一人ではありえなかった事でしょう。
それぞれの個性が私達姉妹を育てたのだなとつくづく思います。

ふとそんな私の中の母の思いを残しておきたくなり、ここに
書かせていただきます。


温かい母に感謝・・・。


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2009年06月20日

泣くな!

ふと昨日、小さい頃の夢を見ました。
父によく「泣くな!泣いて解決になるなら泣けばいい。でも
なんともならないなら、次どうしたらいいか考えろ!」と
言われていました。

昨日の日中に自然と「どうしたらいいんだろう?」って言って
いる自分に気付いて、これはコーチングを学び始めてからの事
ではないなと思ったんです。
いつからだろう?って思って、思い出したらルーツは父の
「泣くな!」でした。

泣きたくても「泣いてもしょうがない。どうしたらいいかを
考えなくちゃ」っていつも思うのが習慣になっていました。

誰にでも環境から生まれた口癖や自分で発見して戒めている
言葉などがあるように感じます。

ある方は「ひとつの事をすぐに鵜呑みにしないように、まずは
逆説から入る」という人も居ました。育った環境や仕事などで
見つけた自分なりの考え方。
よくそれが「全員そうだ」と思いがちですが、実は自分だけの
考え方かもしれない。

だからこそ、その人の持っている「こだわり」「考え方」に
ついて目を向けてあげたり、自分のこだわり等に気付くこと
があると、少し周りの人の見方も変化しますよ。きっと。。

私の父の「泣くな」は、時に強い女に見せる反面、しっかりと
「どうしたらいい?」って口癖も身につけさせてくれました。

ちょっとした周囲の人との関わりが、大きな影響を与えていく
事にもなるのでしょうね。

今、すごく思うのは、コーチングが徐々にできるようになって
きたのは、以前から出来ていた部分だけではなく、コーチを
自分につけ、コーチのかかわり方から学ぶ事もあったように
思います。

これからもコーチのかかわりからどんどん学び続けていきた
いなと思います。

あなたは、どんな口癖や、こだわりを持っていますか。

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2009年03月26日

たまにはいいよね。一人じゃないもん

中学の頃からずっとつけている日記。

いつも書くことで満足するのか、そんなに振り返ることもない
のですが、久しぶりに自分を客観視したい事があり、久しぶり
に日記を開いた。

書いてある書いてある。
当時のいろんな出来事や感情、考え。
こうしてみていると、当時がまるで昨日のように思い出される。
客観視したい内容の部分だけ見ればよいのに、全く別の部分ま
で、ついでだとめくってみました。

いじめられてしまった頃も、結婚して知らない土地で、知らな
い言葉の中、知らない人達に囲まれていた新しい職場での仕事
をはじめた頃も、私は結局1人じゃなかった。
厳密に言えば、1人じゃないと思い込んでいた。

そうなんです。
本当は、孤独も感じていました。
結婚した頃は、一番主人の仕事が忙しく、出張も多く、結婚し
たは良いけれど、ずっと1人だったのです。
人との関わりを求めて、地域のママさんバレーを探して、バレー
部に所属したり、同じアパートのお姉さんと階段下で話したり、
職場を探してすぐに就職したり。

でも、結局は言葉が「名古屋なまり」っぽい岐阜の言葉から、
「栃木なまり」になっても、アクセントが違いすぎて同じ日本
語に聴こえない。
だから、表情で会話をしているようでした。

中学の頃は、「みんながこう言っているよ」と無視している理由
が「自分まで巻き込まれたくない」という思いにある事を話して
くれた子を勝手に、唯一の味方だと思っていた。
何より、日記に書いて、もう一人の自分と会話をしていた。
味方が二人居ると思いこんでいたのです。

そして、栃木の時も同じでした。
表情で会話するときに、いつも優しい顔をしてくれる人を仲間だ
と思っていたし、ここにも日記というもう一人の自分という味方
がいました。

孤独なときって「味方」が居るかどうかというのは、すごく大き
な精神的な違いになると私は感じています。
孤独であっても、一人ぼっちじゃない。しかも他人が味方をして
くれるのは、「私って居てもいいのね」という安心感にも繋がっ
ていたのかもしれない。

本当は、今から日記を振り返ってみると、もっと多くの人達が
自分の「味方」として居てくれているのに気付けていなかった
だけなのに、当時は「二人の味方」が支えだったのです。

日記を振り返って思った事。
・たまには思い込みもいいよね〜。
 勝手に味方だと思う事で、強く居続けられたんだから。
・1人じゃないって感じる事って大きいよね〜
 けれど、本当はもっともっと支えてくれていた人がいたんだか
 ら、その人達に甘える勇気もあったら良かったのかなあ。
 親、先生の一部、姉妹、友達の中にも・・・。
 優しく接してくれていたり、声をかけてくれていた人も居たの
 に、頑なに心を閉ざしたのは自分だったのかもしれないな。
 たまには、「孤独な自分」に「本当に孤独なの?」ってきいて
 あげられたらよかったのかなあ。
・自分の思いを何かで表現できれば、自分自身でさえ「味方」だ
 と思う事ができるんだなあ。

ふとそんなことを感じました。
もちろん、他の事も書いてあるんだけれど、「どうしてsmilecoach
さんはそんなに心が強いの?」と聞かれたのを思い出し、探して
いた内容とは別に、そんな問いかけの答えも探してしまいました。

考えてみると、「問いかけ」って答えられてないと、心に残る
ものなんですね。
そして、思わぬ心の強さの秘密を見つけられたうれしさもあり
ましたので、あなたにもおすそ分け。

いっつも1人で頑張っているわけじゃないんですよ。
いっつでも、もしかしたら思い込みかもしれないけれど、「1人
じゃない」って感じる事が、自分を強くできる魔法の言葉だった
のかもしれません。

仕事・家庭・学校・ご近所・・・
いろんな場面で人は集団なわけで、ふと孤独を感じたり、自分が
ちっぽけに見えたりする時があるかもしれません。
けれど、1人じゃないよ。

ふと、不景気の世の中で、もがいている方もいるのかと思ったら、
自分の思い込みが、誰かの耳や目や心に届いたら何かお役に立て
ることもあるのかしらと思い、恥ずかしながら書いてみました。

1人じゃないよ。
だから、前を向こう、上を向こう!
その体勢になるだけでも、胸が開いて、ちょっぴり落ち着けますよ。
(これももしかして思い込み?)


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2008年06月11日

親の思いが私の信念になる

父親の何度も伝える思いは、いつの間にか「必ず」とか
「〜でなければならない」という思いとして伝わってきて、
自分自身の信念となっています。

これは、宗教や道徳も同じなのかもしれません。

海外の方が仰いました。
「日本の方々はどうしてそんなに人のためにだとか、和を
 考えるのか。自分が幸せである事が、結果として周りに
 幸せを感じさせるのではないか」

その言葉を聴いたときに、育つ環境などが作り上げる信念
ってあるんだなあと思いました。
そして、私も父から言われた事が信念になっているなという
事もあります。

「泣いて何が変わるんだ。
 泣くぐらいなら、次どうするかを考えろ!」
と良く言われました。
その事で「人前で泣いてはいけない」「次に同じ失敗をして
はならない」などという融通のきかない信念を持つ事になり
ました。

最初は、この事によって非常に動きやすい自分らしさである
とも感じました。
けれども、融通がきかないことによって、苦しくなる事も多々
ありました。
ちょっと言葉を変える事にしました。
しかも最近やっとです。
「またには泣けることもいい」「同じ失敗を繰り返しても徐々に
変化すればよい」
全部をまるっと変える事はできなくて、少しだけ変えてみた。

そうするだけでかなり楽になる事が分かりました。

自分の信念って言われないと気付けなかったり、なぜイライラ
するんだろう?などと思う事があると気付いたり。
いづれにしても、何もなければ、自分が動くのによい影響しか
ない事なのに、ちょっとした時にブレーキになる。

そんな時に、ポストイットのように、ちょいと書き換えてみる
事ができたら、すごく楽だなあと思いました。

信念が悪いわけではなくて、
信念とうまくつきあっていきたいなと思いました。

あなたの信念は何ですか。

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2008年02月16日

お前は今何するんだ?

厳格な父。
本当に叩かれるのが恐くて、ビクビクしていた時期が多かった。
それでも、嫌いになれなかったし、反抗しようとも思わなかった。
自分なりの防御の仕方を身につけたからなのかもしれない。
けれど、それだけじゃないような・・・。

ふと父の事を思い出した。
いくら恐い父も、コーチングというものがまだ日本に導入されて
いない30年以上も前から、私に既にコーチングマインドを植えつ
けていたのではないかと思います。

「お前は大きくなったら何になりたいんだ?」
「そうしたら、今何するんだ?」

この二つの質問は事ある毎に続けられてきた。
保育園年少さんの時から聞かれていた記憶がある。
そのために、今の「快」よりも将来の「快」のために今の時間を
使おうという事を思って過ごしていたように思います。
かと言って、その「今」も充分楽しんでいたように思いますが。

未来志向は父に作ってもらった。
そして、今何を行動するのかを考えるようになったのも習慣化
していたんだと思います。

今、行動分析学の本を読んでいます。
感情を脇において、行動に焦点を充てた学問です。
その本にも書いてありました。
やろうとしたきっかけがあり、行動して、その結果が良くなる
と分かっている時、或いは自分にプラスの結果が出るときは、
人は動いたり、続けたりできるのだと。

私は将来のプラスを信じて動いていたんだなあと。

改めて父の声かけを思い出してみた。
厳格な父だから、モチベーションを上げる事を意識したわけでは
なさそうです。
逆に緊張しながら話していたので、「なんか出来そう!」って
思えるようなことはなかった。
でも、なぜか「やらなくちゃ!」位の思いがあった。これはこの
行動分析学の言っている事に合致するのかもしれないなと思いま
した。

恐いといわれる人であっても、無理に優しくしなくても、本当は
その人なりの、行動を動かすことのできる付き合い方、人の育て
方ってあるのじゃないかなと視点を変える事ができました。

父を嫌いになれなかったのも、私の夢を引き出してくれていたか
らなのかもしれない。
「○○になって欲しい」なんて言われた事はなかった。
「お前ならできる」なんて事も言われた事もなかった。

父は、コーチングというよりも行動分析学を実は知っていたのだ
ろうか?
ふと本を読んでいて疑問に思った事だった。

あなたはあなたらしい導き出し方(?)を持っていますか?
それはどんな方法ですか?

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2007年11月28日

おかげさまで・・・

おかげさまで・・・。

何気に使っているこの言葉。
ふと考えてみると、自分の行動や自分自身の存在自体にも
いつも周りで支えてくれている人がいるんだということを
伝える言葉なんだろうと思います。

支えてくれる人がいる。
そして私は支えられる人でもありたい。

親にも「あんたは要領が悪い。正直なことが良いとは限らない
んじゃないの?!」と言われた事も数知れない。

けれど、まためぐりめぐって私に「おかげさまで・・・」を
運んでくれていると良く思うようになりました。

きっと誰も1人じゃない。
正直である事も見てくれている人もいる。
その時は、周りの人曰く「おいしいとこどりされたね」という
事も数多くあった。
でも、今私は多くの人達に助けられている。
支えてもらっている。

見返りなんて期待してないと言ったらウソになるだろうが、
言葉がかえってくるだけでも嬉しい。。。かえってこなくて
も気にならなくなっていた。

おかげさまで・・・
言い続けられることが出来るのも、周りの人達のおかげ。
そして、たまに「おいしいとこもっていかれたね」という
言葉で私を認めてくれている人達のおかげだと思う。

私がいるのは周りの人達のおかげ。
わすれたくない思いであり、続けたいことばです。

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2007年11月07日

喜べること、幸せと思えること

小学生高学年になったときでした。
先生からの宿題がでました。
「自分の命名の理由と出生の時の思い出を親から聞いてくる」
というものでした。

私の名前にも親の思いがいっぱい詰まっていることも感じました。
そして、出生の思い出を聞いた時、初めて「生きていることは
幸せなんだ」と思いました。

私は生まれた時にかなり難産で、お腹の中で呼吸が止まって
しまいました。その後吸引によって出てきたのですが、泣く
事もなかったそうです。
その後、看護師さんが交替で背中をポンポンと叩き続け、1時間後
位にやっと喉につかえてしまったものを吐き出し、息を吹き返した
そうです。

もし看護師さんが途中であきらめていたら、私は世の中に存在
していなかったかもしれない。もう少し遅かったら傷害を持って
生れていたかもしれない。本当にギリギリのところで生れたそう
です。
普段は生れたばかりの子供は顔を真っ赤にして泣くから「赤子」
と言われるようですが、私は真っ白だったので、初めて母が私を
観た時はびっくりするやら、ホッとするやら、気が抜けてしまっ
たんだとか。

そんな話しを母から聞いた時、私は今こんなにも元気なのに、
生れた時から親を心配させていたんだなと申し訳なく思ったのを
覚えています。
その後、すぐに思ったのは「無事でよかったあ」と自分の事なが
ら感じたのを今でもはっきり覚えています。

その時以来、何か辛い事があっても「せっかくもらった命だから
大切にしなくちゃ」「今ここにいるのだって不思議な位だから、
それを思えば何でも乗り越えられる」「1人で生きてるわけじゃ
ない」そんな思いをいっぱい思えるようになりました。
そして何より「命があるだけで幸せな事なんだな」と思えるよう
になったのは、その時からでした。

生きていることが幸せだと思える。
一生に一回の人生だから、楽しもうと心から思える。
いつも誰かに助けられていると知っている。
それが一番私の大きな支えになっているのかもしれない。

あなたを支えている考え方はどんな考え方ですか。

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2007年09月22日

ネイティブコーチング体験

記憶に残っているネイティブって言われる所以のエピソードを
たまに紹介していきます。

小学5年生の時でした。
非常に生徒一人ひとりを大切にして下さる先生だった。
その先生が授業をされているんだけれど、手を挙げる人はいつも
2〜3人。
けれど当てられるとみんなしっかり答えられるんです。
先生も分かっていて、ちゃんと分かりそうな表情の子に当てて
いたんだろうと思います。
どんどん、疑問が湧いてきた。
「どうしてみんな手を挙げないんだろう?」

ある学級会の時、先生が「何かみんなに言いたい事ある人」と
言った事があった。
私はすぐに手を挙げて、みんなをみて聞いていた。
「授業中に、先生が当ててくれると発言できるのに、どうして
 手を挙げないのでしょうか?理由が知りたいです。」
と、すっごい真面目だった私は疑問をそのままぶつけてみた。

答えが返ってきた。
「はずかしいから」
「合っているか分からないから」
「間違って恥をかきたくないし・・・」
お互いにすごく正直だなあと今振り返っても思う。

そして私が発言した。
「私も合ってると思って発言しているわけじゃない。
 たまに自信を持って言ってる時もあるけれど、だいたいは
 不安だよ。私だって間違えたくない。でも、言ってみない
 合ってるか間違ってるかも教えてもらえないから言ってる」
「思ってたり、考えてたりするんだったら、発言しないと
 余計に分からないよ」
「どうしたら発言できるようになるの?」

みんなシンとしてしまった。
その時に他にもいつも発言している子が「俺もそう思う」って
言ってくれた。それが嬉しくて今でも覚えている。

その後、クラスで少しずつ手を挙げる人が増えたのでした。

今振り返ると、「思うだけじゃなく、行動しようよ。いっぱい
失敗しようよ」とその時から言っていたんだと思う。

これは私達が6年生になって、その先生がまた5年生を受け持ち、
下級生に伝えてくれていると下級生から聞いた時に、初めて
そんな先生に伝えてもらえるようなことをしたんだあと振り
返れた出来事でした。
だからその時の記憶は、私より先生の記憶の中の方が鮮明だ
ったようで、後から先生にもう一度聞きなおして、こうして
語る事ができているのです。

その先生とは未だに時の挨拶(年賀状)は交わしています。
そして、定年退職した今も言ってくれます。
「あの時、こうしよう!じゃなくて、質問してくれたね!
 あの質問で、みんな考える事ができたんだよね。」って。

きっと先生が一番に今の私に気づいてくれた先生なのかも
しれないなあと今思います。
先生のことだから、私だけでなく、多くの生徒それぞれに
そんな思い出をいっぱい持っていらっしゃるんだろうなと
感じます。
きっとその先生自体も、コーチだったのかもしれません。

命令や指示より、心に刺さるのは、自分に対して問いかけて
くる「質問」なんだなあと、今でも思います。

きっと誰でも自分に対してもいっぱいの質問を投げかけて
いる。
「今日は暑いよね?」「うん、暑いなあ」
「洗濯したの?」「洗濯しなくちゃ」
「今日は何しよう?」「今日は○○するか」
きっと言葉にならない質問をいっぱいしているんだと思う。
だから、きっとだれでも質問のプロなんだろうな!
けれど、その投げかける質問がどんな質問なのか?その違い
だけだと思う。
自分にもさらに言い質問ができるようになりたいな。

「どうして○○できないんだろう?」
   ⇒「どうしたら○○ができるようになるんだろう?」
「なんでこうなるの?」
   ⇒「こうなったのはどうしてなんだろう?」
    「次は(反対の言葉)になるにはどうしよう?」
「変じゃない?」
   ⇒「違うなあ。何が違うんだ?」

ちょっとした言葉で、少しニュアンスが変わって聴こえませんか?
ちょっと肯定的にしただけなんですが、これでいいんじゃないかな?

あなたはどう思いますか?

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2007年08月27日

タンポポが好きなわけ

私は「タンポポみたい」と言われる事が嬉しいです。
どこにでもある身近さもあるけれど、小学校3年生から4年生の
2年間に担任だった先生から、「タンポポみたいだね」と言われ
たのがきっかけでした。

それまではもっと別の花ではなく、なぜとタンポポなんだろう?
と思っていました。
けれど、それ以来何となく目の行く花となりました。

私には影響を与えてくれた先生が多いですが、その3.4年生の
時の先生も大好きで、年賀状をずっと続けさせていただいています。

そして、6年生の時でしたでしょうか、その先生からもらった
年賀状に根までついたタンポポが描かれていた。そして意味が
添えてありました。

「タンポポは、どこにでもある小さな花。
 そして決して目立つ花ではないけれど、
 あの花を咲かせるために根を1メートル以上も張るんだよ。
 だから、踏まれても、水がなくなっても、コンクリートを
 割ってまで成長してきて、きれいな黄色い花を咲かせる。
 そして、来年また綺麗な花をいっぱい咲かせるために、
 花が終わると茎をうんと風が当たりやすいように伸ばして
 綿毛を飛ばす。
 地に根を張り、周りに影響を与える。
 あなたはきっとそんなタンポポみたいな人になるよ。」

少々の事でへこたれない強さを最初に言葉にしてくれた先生
だったと思います。
そして、私の未来を信じてくれた言葉のように感じました。
それ以来、私には「タンポポみたいな人間で居たい」という
思いが芽生えました。

きっと水鳥や他の生物・お花でも同じように精一杯生き、精一杯
いろんな事を教えてくれるきっかけになったでしょうが、その
先生の言葉が今でもずっと忘れられません。
私の大切にしたい「軸」に気づいてくれた先生だったんだと今
でも思います。

だから、「タンポポみたいだね」と言ってくれたコーチ仲間の
Tさんには感動でした。それ以来、急にタンポポと仰って下さる
方も増え、私は先生の仰って下さっていた「タンポポになれたの
ではないか」と今思います。
きっとまだまだつぼみのタンポポなんでしょうが、最後には綿毛、
笑顔の綿毛を飛ばせるように自分磨きも、人との関わりも大切に
していきたいなと思います。

私の「軸(あり方)」に気づいてくれた先生に感謝。
そして、それを大切に出来ない時期もあったけれど、またTさん
のおかげで意識する事ができるようになりました。

これからはあなたにも元気や笑顔の綿毛が飛ばせるように、自分
の心も更に磨いていきたいと思います。

あなたの大切にしている「こうありたい」を何かに喩えるとしたら
何だと思いますか?そして、その心は?

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2007年04月11日

お姉ちゃんなんだから

小さい頃から人一倍責任感が強かった私。
小学校3年生の通信簿で人生1回こっきりの「がんばろう」を
もらったことがあったのが「責任をもって実行することが
できる」という項目でした。
矛盾しているようですが、コメントにはしっかり先生の言葉
がそえられていました。
「責任感が強すぎて、やりすぎてしまう事がある。もう少し
責任を気楽に捉えてもいいかもしれません」というコメント
だった。

考えてみたら、この責任感は今は「私らしさ」と捉えていま
す。この責任感ってどこから生まれたんだろう?

考えてみても分からなかったけれど、自分のコーチと価値観
や私の内面のニーズを探っている時にはっきり分かりました。

「お姉ちゃんなんだから」
って言葉を妹が生まれてからずっと言われていたなあって。
その「お姉ちゃんだから、こうしなくちゃ」「妹のお手本
で居なくちゃ」「強くいなくちゃ」「面倒みなくちゃ」って
思ってきた。
それが出来ないと、当時スパルタ教育だった父に思いっきり
叩かれてしまう。
そんな思いから、いつでも「お姉ちゃんとしての責任」を
問われていました。今思えば、自分でそう思い込んでただけ
なのかもしれませんが・・・。

そして、責任の重みをヒシヒシを感じていたのでした。
当然、言ったことには責任を持つという事もやってました。

「お姉ちゃんなんだから、しっかりしなさい」
そんな言葉が、私の責任感を育ててくれたのではないかと
思います。

今は、その「年上としての責任観」が、後輩を育てる責任感
に変化していたのだなあとつくづく感じています。
会社を退いて、後輩がグッと減ってしまったのですが、これ
からは、一緒に育つ責任感に変えていこうと思いました。

お堅いイメージがあった「責任感」という言葉も、今はそん
なに重く捉えないで、「私らしさ」として活かしていけそう
な気がしています。

「お姉ちゃんなんだから」
言われ続けた3歳以降。「責任を楽しむ」事をこれからも
どんどん模索していきたいなと思います。

あなたはどんな「あなたらしさ」を持っていますか。
それをどんな風に活かしていきますか。

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2007年03月29日

自分で調べろ!

ふと父の口癖を思い出した。
「分からない事があれば、自分で調べろ!」

人に聞いたりする事ももちろん多かったけれど、それでも
分からない事はそのままにしないで、自分で調べたりした。

今、いろんな事に興味を持ってしまうのもその時からの癖
なのかもしれないとふと思った。
私の好奇心旺盛な事を認めてもらいながらも、そのままに
しないことを教えてくれたのは父だったのかもしれない。

物への興味だけでなく、人への興味もすごくあった。
この人はどうしてこんな事するんだろう?
なんでこんな事してるんだろう?
面白いのかなあ?
自分もやってみよう!

こんな事も「しょっちゅう」だった。
そしてこれは今も変わっていない。
人が興味惹かれることにも興味を持ったり、その人自身の
反応にも興味を持ったり、言ってる事が気になったり・・。

全てがコーチとしての今に繋がっているようにも感じた。
何気ない一言だったのか、意図があったのか、それは父に
聞いてみないと分からないけれど、いろんな事を私にくれ
たんだなあ。
改めて感謝!

そして、これからもいろんな事、関わった人に興味を持ち
続けたいと思います。

皆さんは親からもらった言葉が今に繋がっているなあと
感謝できる事ってどんな事がありますか。

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2006年12月21日

泣いてる暇なんかねえ!

父に言われた言葉を今振り返ると、私をコーチにさせたのは
実は父だったんだろうなとつくづく思います。

ひどいスパルタだった父。その父がコーチであったかどうか
は別として、言っている事はコーチを育てたと思っている。

叩かれて、罵倒されて、悔しくて涙も出る。
でもそこで泣くと
「泣いてる暇があったら、何をしたらいいかを良く考えろ!
 お前に泣いてる暇なんかねえ!」
といわれたものでした。

そのためなのか、悔しい時、悲しい時ほど歯を食いしばって
「どうしたらよくなるのか」を考えるようになった。
傍から見たら、悲しい時や悔しい時に泣かない冷たい人に
感じるのかもしれない。いつでも笑っていて「違った意味の
ポーカーフェイス」といわれた時期さえあった。

それでもどうしたら前を向けるのかを考える事を身を持って
教えてくれていた。

今、その父は自分自身と向き合っている。
そしてそれを態度で示してくれている。
模範となってくれている。

この教わり、叩き込まれたマインドはこれからも大切にして
いきたいと思う。
そして、例えば「できない!」ではなく「できるためには
どうしたらいいか?」を考える事を習慣にしてくれた父に
感謝をしたいと思う。
ありがとう!

そして、これからもお手本を示して欲しいと思う。

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2006年12月12日

和を感じる

最近、妹に思い出させられた事があります。
それは、家族の団欒を大切にしてきた家族であったこと。

食事の時間は、家族団らんの時間だからという事で
テレビをつけないで食事をしました。
皆でそろって食事をしました。

それが「和」を大切にする気持ちや家族の絆を深めて
くれたのではないかと思いました。

なのに。。。

今の家族とはしてないなあ。。。
今日から早速テレビは切ろう!

自分の親の良い部分は学んでいこうと思いました。

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2006年09月20日

親からの言葉

昨夜、親から言われて人生が変わったという番組をみのもんたさん
がされていた。
みのもんたさんもその中で自分の親の言葉を披露された。
母「自分の限界を作るのは、自分だけ」
父「人に認められたければ、人の何倍も働け」
そんな言葉だったと思う。
だから、みのさんはあんなに自分の限界にチャレンジしながら、働いて
いるんだなあと。。。

そんな時に私もあるエピソードを思い出した。
私の家は本当に貧しかった。
同級生の子の親が経営する会社で両親が働いていた時期があった。
私が小学校低学年の頃でした。
そんな時、経営者の娘が私に言ったそうです。(私は覚えてない)
「この子ん家の親は、私んちで遣われてるんだよ。
 だから、私のいう事をこの子は聞くんだよ」
って。。その日私は泣いて帰ってきたそうです。

その時の事は覚えてないのに、その後の親の表情や言葉ははっきり
と覚えています。
母はただただ泣いてました。「ごめんね。辛い思いをさせてごめん」
父は、顔色一つ変えず、
「お父さんもお母さんも誇りを持って働いてる。何が悪い!
 そんな事言う奴は、そのうち周りの奴が離れていく。
 お前は、金持ちじゃないけれど、違うところで勝負すればいい!
 運動でも、勉強でもいい。
 みんなに認められる人になればそれでいい!」
今でも、あの表情と声、言葉は忘れない。。。

その言葉のおかげもあり、私は屈しない心と、他の人の良さは良さと
して認める気持ちを覚えられたんだと思う。
お金持ちをうらやむより、自分のできる事をすれば、それでいい。

勉強も運動も、すんごく頑張りましたね、笑えるくらいたらーっ(汗)

そしてその後、その会社は倒産をする事になったのです。
私の両親は、すぐに次の就職先が見つかり、私は貧しいながらも
不自由なく育てられました。
私は、恵まれていたんだなあって思います。
両親に感謝もします。

あの時の親の表情や言葉のおかげで、今の私が居るのかもしれない。
言葉数多くあれど、忘れられない記憶です。

みのさんの言葉からふとそんなことを思った私でした。
皆さんにはどんな親の言葉があったのでしょうか。。。。


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2006年07月20日

泣く時間があれば

小さい頃は泣き虫でした。
でもいつの間にか一人で部屋にこもって泣くようになった。
人前で泣くのは、人との別れ(卒業式など)や、うれし泣き
の時。。。

そんな私にいつなったんだろう?

考えてみたら父の言葉の影響力は大きかったように思う。

スパルタ教育だった父に何度となく叩かれた。
そのたびに痛くて泣いていた。
すると父は
「泣くな!泣く暇があったらなんかやってみろ!
 何かやって出来なくて、悔しくて泣くならまだしも
 やる前からビービー泣くんじゃねえ!」
そしてまた一発バシッ手(パー)むかっ(怒り)

繰り返すうちに最後の一発だけでも避けられるように
泣かなくなった。
歯を食いしばって、「何かやればいいんでしょ!」と
反抗的ではあったが考えた。

そして出来ても褒めてくれない父を淋しく感じた。
コーチング的に言うと、ここで褒めてくれる行為がある
だけでも達成する事への喜びで、叩かれた思い出はかき
消されたのかもしれない。
そのせいか、私は出来た事には必ず褒めるようになった。
変化や成長を認めてもらえる事がどれだけ嬉しいか、認
めてもらえないときがどんなに淋しいかを知っているか
ら必ず言葉や態度で、その変化や成長を伝えられる
よう
になった。

さてさて、「何かやって出来なかった時」がどうか。
これがまた痛いもうやだ〜(悲しい顔)
悔し涙を流したとする!
そうすると父は
「なぜ出来なかったかを自分で分析しろよ!
 改善してやってもないくせに悔し涙のフリなんかする
 んじゃねえ。
 悔し涙は最後の最後に流すもんだ。
 半端に妥協して、自分で涙なんか流してる暇があった
 ら、さっさと次の手を考えろ!」
さらにバシッ手(パー)むかっ(怒り)

よくやったなの一言くらいあったっていいんじゃないの
って思いながらも、次の手を考えてみる。
そこで自分で限界を作らなければ、結構なんとかなる!
という事を知った。

決して良い育てられ方をしたわけでもないとは思うけれ
ど、今の私があるのは、この父のおかげでもある。
それをそっと近くで泣きながら見守ってくれた母のお陰
でもある。
親に感謝することを忘れたくはない。

どう育つかを親のせいにしたくはなるけれど、自分で
従うかどうかも選んできたんだものなあ。
親も私も一人の人間として生きてきたんだよなあ。
間違いなく親のおもちゃではなかったと思う。

自分で自分に限界を作って、勝手にあきらめないこと!
変化や成長は褒めてあげると次に繋がること!
しっかり親から教わってきた。

体験から教えてくれてありがとう!

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2006年06月26日

親しき中にも礼儀あり

我が家は変わってる部分がありました。
我が家は両親と私と妹二人、そしておばあちゃんが一緒に住んで
いました。
今では、お互いに呼び名をニックネームで呼び合ったりしますが
お互いを呼び捨てにする事は許されてませんでした。

また、挨拶だけはどんなに喧嘩をしていても交わす約束になって
いました。
今思えば、これが『相手を尊重する』とか『相手の存在を認める』
という事が自然とできるようになった教えだったのかもしれません。

それを20年以上も続けていれば、自然に身につきますよね^^

さて、我が家の呼び方ですが、必ず名前に「さん」をつけて呼ぶ
事になってました。
両親も私も、妹を「○○さん」「△△さん」って呼ぶのです。
親もさん付けで呼ぶのですから、私がお姉さんぶって呼び捨てを
した時にはすごく怒られました。

どうして「さん付け」だったのか。
父親曰く
「年齢が上だからと言って、人を蔑む(さげすむ)な!
 人は生まれてきた以上、尊いもんだ!
 たまたま先に生まれただけで威張るんじゃない!
 他のうちがどうでも、我が家では必ず「さん」を付けて呼べ!」
でした。
その時では「偏屈おやじ!」位にしか思ってなかったけれど、
ずっと見本を示し、私達を今もずっと「さん付け」で呼ぶ両親
はすごいと思います。尊敬します。
そして、それによって他人を尊重する気持ちを身を持って体験
でき、身に付けてきた気がします。

そして、「どんな時でも挨拶」
「おはよう」
「行ってきます」「行ってらっしゃい!」
「ただいま!」「おかえりなさい!」
お風呂に入る時「お先に失礼します」「どうぞ」
 〃 から上がった時「お先に失礼しました」「はい」
「おやすみ」「おやすみなさい」
喧嘩をしていても、前の日に散々父に説教された日でも、少なく
ても上記の挨拶のやりとりはありました。
ここでも、両親も然りでした。

両親がやってるんでは、文句の付け様子がありません。
どんな日も続けてきたことでした。

父に説教された日の翌日は本当に父に挨拶をするのがいやでした。
でも、挨拶をする事でそこに短い会話が成立していたわけです。
相手の存在を無視しない、相手の存在を認めてあげる行為があった
わけですね。
今から思うとこれもまた、当然の事として教えてくれた両親に
感謝します。

一度お話ししたことがあったと思いますが、現在の勤務先に、以前
重役だった方が助っ人として入られた事がありました。

しかし、自分になびく人にだけ挨拶をする方だったのです。
私はその方のその姿勢があまり好きではありませんでした。が、
挨拶だけはしていました。
その方は、最初の頃が挨拶を無愛想に返してくれてましたが、時を
経る毎に、会社全体に企画担当者として指示を出している私が邪魔
になってきたようで、挨拶をしてくれなくなりました。
それでも私はその人に挨拶をし続けました。
私「おはようございます」
重役「・・・」
そんな事が続いたある朝、社長が言いました。
「人は日頃の行いをしっかり見ているものだ。いつかそれが分かる
 時が来る。辛いかもしれないけれど、今のまま挨拶を続けていろな」

その際には既に重役への信頼感をなくしている社長が居ました。
そして、従業員にもその様子は伝わってました。
しかし、誰一人重役に忠告する人も居ませんでした。

そんなある日、社内でとある事件が起きました。
「重役が私を軽視するから仕事がしづらい。部下が私の言うことを
 聞いてくれなくなってしまった。重役が自分で仕切りたいのなら
 勝手にし切って下さい」と急に辞めると言い出したリーダーが出た。
普通だったら、事情を両方から聞くなり、或いは辞めると言ったリー
ダーの辞表を受け取るところなのに、日頃の様子を見ている従業員
始め社長までもが、重役を責めたのです。

重役はみんなから信頼を失っている事にその時始めて気付いたよう
でした。
少しの間は、急にみんなに優しくなった重役が居ましたが、それでも
自分を責めたリーダーに対しては、私に対する態度と同じ事をする
ようになりました。
リーダーに対して挨拶をしない重役を見て、社長は「この重役は昔の
重役ではない。ただ見栄ばかりを気にするおやじになってしまった」
と嘆き、かなり我慢はしてみえましたがとうとう「クビ」にしたの
でした。

誰にでも同じように挨拶ができるかどうか。
周りの人を大切に思えているかどうか。
挨拶一つでいろんな事を見られてしまうんだと改めて知った出来事
でした。

父の教えのお陰で、私は人を尊重すること、存在を認めることを
自然にできるようになっていたんですね。
これは、妹も同じでしょうね。

そんなわけで、「親しき中にも礼儀あり」とは、相手との礼を尽くす
だけではなく、コーチング的に言うと「相手の存在を認める行為」で
もあったのだと私は感じました。

今は我が家の家訓ともなっています。
良い事は引き継ぎたいものですものね。

「お前ん家は変わってる」と散々言われてきたけれど、私には父の
身を持って教えてくれたその習慣は、私達姉妹への最高の贈り物だ
ったと感じています。
お父さんありがとう!

あなたの家では挨拶はしあってますか?
もしよろしければ、やってみてくださいね。
きっと笑顔の数、会話の数も増えてくることでしょう。。。


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2006年06月07日

父の口癖

私がネイティブって言われるのって何故なんだろう?
私には全然検討がつきません。
が、たぶん育ててくれた両親のおかげなんだと思います。

いいなあ。どうしたらネイティブになれるの?って聞かれて
も分かりませんが、たぶんみんなそれぞれがネイティブなん
だと私は信じています。

たまたま色んなコーチと出会う中でそう言われた事が多くて
自分で勘違いしているだけなのかもしれませんけどね(^^;

私が出来る事
そう思った時、どう育ったかをたまに書いていきたいと思い
ました。

今日はその第1弾となります。

私の父は既に4歳の頃から
父「大きくなったら何になりたい?」
私「先生!」
父「なんの先生や?」(岐阜の方言が少し登場すると思います)
私「保育園の先生」
父「そのためには勉強もして、大学も出て、それからだな。」
私「ふうん、勉強しんとあかんの?」
父「そうや。先生はなあ、大学出て、先生の試験を受けんと
  なれないんだぞ!」
私「え?先生ってすごいんだねえ」
父「先生だけやないぞ。みんな努力しないと夢は叶わん」
私「うん(気合)」
父「どんな先生になりたいんや?」
私「○○先生みたいな先生」
父「なんでその先生がいいんや」
私「うんとね〜・・・」
こんな会話が何度も何度も繰り返されました。
「保育園の先生」と言う部分は変化したとしても、この会話は
高校に入学する頃までずっと続けられていました。

そのために私は夢を見失うこともなかったし、今辛い思いをす
るのがいつか私の力になるであろう事も信じられた。
自分の夢を想像する事は既にこの頃から習慣化されたものでし
た。

何のために今これをするのか。何のためにこれからそれをする
のか。いつも「なんのために」って言う部分があったような
気がします。

だからこそ、人の話を聞いていても「何のために?」って聞い
てしまいたくなるのでしょうね。

父の「大きくなったら何になりたい?」という口癖にも似た
問いは私の今を作っている大切な言葉ではないでしょうか。

今でも私は「これからどうしたい?」と自分に問いかけたり
します。父には問いかけられなくても習慣化したその問いは
今もずっと私の中で、問いかけられるものとなってます。

あなたは今、何のために○○をしているのでしょうか。
あなたはこれからどんな人になっていきたいですか。


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